Fragment Réalité

Démarche artistique

 

L’objet projeté dans le miroir était une réalité superficielle, et je voulais connaître la vérité de l’objet.

Au fond du miroir, il est dit que le visage se reflète dans ma mort,

Moi qui avais 20 ans à l’époque, j’ai vu mon apparence se refléter dans le miroir et j’ai vraiment voulu le briser. C’est pourquoi j’ai commencé à me concentrer sur mon reflet dans le miroir.

 

Un miroir qui reflète l’objet qui existe là, un point de vue à la fin de quelque chose séparé par une feuille,

J’ai fait plusieurs miroirs qui ont été traités comme s’ils étaient cassés, et je les ai empilés les uns sur les autres.

Seul un fragment de verre est regardé

Rien n’est certain.

 

Quand j’avais environ 30 ans, j’ai finalement placé un miroir non traité sur le dernier.

J’ai terminé la première série "Cut out view".

 

Demandez moi à nouveau  "Que vois-tu?"

J'ai créé cette œuvre pour se divertir, mais elle s’est finalement transformée en une installation qui montrait différentes parties du monde.

 

La natureCielLes enfants , Tokyo et Paris.

 

" Découpe de la vue / fragments de réalité "

 

Fragments de vérité

 

私は大学で彫塑を卒業した後、絵画を中心に描いていた20代前半、この平面とも立体とも言い難いガラスを使った作品の制作も始めた。

この頃は自分を好きになれずそんな自分自身の存在について問いかけていた。

鏡に問いかけても答えを探せるわけではない、そんな焦燥の中それを破壊してしまいたいという思いに駆られた。

そして何が見えるだろうか?

しかし割れた鏡の断片にもまた変わらない自分自身が映るだけだった。

それを作品にしたものが"cut out myself"である。

鏡は実際に割れたものを使用するのではなく、鏡の原型であるガラスに塗ってある鏡の塗料を一部剥がし、ガラス部分と残された鏡部分によって割れたように加工したものである。

鏡部分には、向かい合う対象が映し出され、ガラス部分には後ろの背景が透けて見える。

その割れたように見える鏡を数枚作り、重ね合わせると無数の鏡断片が浮き出てくる。

 

その断片の向こうに見えるものは?と問われれば、その頃の自分の答えは自分自身でしかなかった。

そして数枚の加工した断片鏡の奥には、加工してない普通の鏡を配した。

 

それから10年後の2011年春、日本人であれば誰もが忘れることのできないあの東日本大震災が起こった。その時感じたことを素直に言うと、自然災害は避けられないが、人為的災害は防げるということ。

こうした災害が起こると更に二次災害として、人間のエゴイズムも目立ってくる。

つまり私達人間の愚かさだった。

そのことについて今考えなければならないと思った。

それは地球がたまたま生命を生み出す惑星であり、そしてここに生まれることができた私達に課せられた義務である。

そういった思いを作品を通して伝えられないだろうか?その頃私は絵画の制作をしながら、以前制作に用いた鏡の存在を思い出していた。

鏡とはその映し出される対象が消滅するまで、その対象と同じ姿を映し出す。

そんな時に発表したものが"cut out view"である。

前作の"cut out myself"と制作過程は変わらないが、テーマとして鏡本来の役割であった自分自身を映すことから対象として現存する自然へ向けるというものだ。

いつもの道すがらに存在するささやかな草花、近所の木々でもいい。外に出て作品を仰向けに置けば、自ずと空が映し出される。人工的な電線と一緒に。

今あるあるがままの風景の中に存在する自然は、時が流れるとともに変化し、あるいは消滅してしまうのかもしれない。その今ある光景を、割れたように加工した鏡の断片一つ一つに写し込むことで、対象の存在を危うく見せている。その数枚の鏡を通し、奥の鏡に映る対象を妨げ、前方に映るものが鮮明に強調される。

また、手前の鏡の断片を現在とし、奥の鏡を未来といった時の流れも意味する。

 

場所を変えることで、作品から受けるメッセージを変えた。

 

 

更にそのメッセージを大衆に向け発信したいと思い、インスタレーションとして屋外に設置できる作品を試みた。東京荻窪市で毎年秋に行われる野外展示では、公園内の異なる3箇所に設置した。

エントランス付近の藪の中、湖のほとり、草木が覆い茂る小さな滝の前。この作品を見つけた人に、自分と自然との関わりを感じてほしいという狙いで、人が映り込むサイズほどに引き伸ばした。

この発表では、割れたように加工したアクリル板1枚を配することで、背景と手前の異なる風景がまるでコラージュされたように融合される。そのアクリル板上に残した鏡部分は、割れたように、又はその小さな断片として配した。

その試みは、写真で撮影するとより明確になる。

来場者にスマートフォンで作品に映り込む背景を撮影するよう勧めた。そうすることで来場者が撮影した写真には、自然の中に断片的に混ざり込む自分自身、又は自分の中に断片的に混ざり込む自然が、新たな風景として残ることになる。

私が作品を制作する時、作品を完成させるのは作者だが、その作品は見る人個々の感性に委ね「続きのストーリー」を託したいと思っている。その試みは絵画でも実践している。

 

このインスタレーションでは、平面的な要素を伴う直方体で構成されている。

しかし平面部に鏡を使用したことで、単なる面ではなく更に奥へと空間が広がる。

そしてそれは設置する場所によって鏡に映し出される対象物が変わり、また流れ行く時間(季節、天候)の中で音、匂い、空気を通して私達の五感で感じる取ることができる。

 

この"Cut out view 切り取られた風景"を通して、自己や風景を映す鏡とその背景に移される異なる風景とが混ざりあうことのよって、自己と他の関係性を考えさせてくれる。

それは私自身も当初自己追求であった"Cut out myself"から始まったこの一連作品を通して、他の世界へとつながる扉を開いたことを意味する。

 

その試みは更に他と共有できるワークショップへと続くのである。